コーチは何のために必要なのか
バルセロナ水泳世界選手権では多くのご声援を頂き、ありがとうございました。閉幕後、北島康介や寺川綾といったチーム平井のベテラン勢は、そのままヨーロッパ遠征に飛び、帰国した学生陣はインカレや国体などに向けて、東洋大学のプールで練習を再開しています。私も指導する日々に戻りつつ、観戦と勧誘のために長崎インターハイに行くなど、慌ただしく過ごしています。
今回は、リオデジャネイロ五輪への第一関門であった世界選手権について、書き留めておきたいと思います。
私は昔から、「成功は選手の手柄、失敗はコーチのミス」というスタンスで指導に取り組んできました。「チーム平井」の観点から話せば、最終日に、400m個人メドレーで金メダルを萩野公介に獲らせてあげられなかったことは、私のサポートが足りなかったからです。今大会では2個の銀メダルを獲得しましたが、彼は敗北感の方が大きかったようで、私自身も喪失感を伴う結果でした。
萩野が多種目に挑戦することは、前々から決めていたことです。6種目、全17レースも出場したから金メダルに届かなかったのではなく、多種目に挑戦する上で必要な指導者としての私のキャパシティが足りなかった感は否めません。
チームジャパンを統率し、チーム平井に所属する8人の選手のウォーミングアップを見て采配を振るうことは想像以上に大変でした。常に走り回りながら、最終日まで余裕がなく、レース前後の萩野への声の掛け方も足りなかったように思います。ロンドン五輪でメダルを獲得した実績と、今年の日本選手権での好成績、本人の成熟度から、「萩野は大丈夫だろう」という考えも、私の頭にありました。
例えば、山口観弘の場合、世界選手権直前に出場した鹿児島大会でも調子が上がらず、不安な状態でバルセロナに入りました。世界大会は初出場ですが、彼は世界記録保持者です。ここで予選落ちをしては、立ち直りに時間がかかってしまうと考えた私は、朝7時半に、誰もいないサブプールに連れて行って泳ぎを見るなど、少しでも彼自身の不安が拭い去られるよう、時間と手間をかけました。200m平泳ぎの7位という結果は、山口にとって大満足ではないかもしれないけれど、次につながる達成感はあったはずです。
一方、日本選手権で絶好調だった萩野の場合、気になる点はありつつも、「大丈夫だろう」という私の中の意識が、彼の中のちょっとした技術のずれや疲労、心理面をサポートしきれず、それが最終日のレースに現れたように思います。400m個人メドレーは彼の得意種目ですから、世の中の期待を一身に背負い、少なからず焦りはあったはずです。瀬戸大也選手の予選のブレストが良かったので、決勝前に少しでも萩野の中の焦りを和らげるような言葉を投げかけていたらと悔やみます。
10年前のバルセロナ世界選手権を振り返ると、私は、北島康介に金メダルの獲得と世界新を出させることに集中していました。つまり、「日本の競泳界を背負っている」という覚悟と、「一つの失敗も許されない」という慎重さを持って試合に挑んでいたのです。でも今大会、果たして私は10年前のような慎重さを持って挑んでいたのかと言われれば、素直に頷けません。
また、「大学にきちんと通って勉強しなさい」「新しい生活に早く慣れなさい」など、多種目の挑戦のみならず、欲張って様々なことを萩野に背負わせてしまっていたのかなとも思います。「それらすべて乗り越えて結果を出してこそ、超一流と言える」という意識を、私自身、強く持ちすぎていたのかもしれない。海外遠征を入れるなど、もう少し水泳だけに集中できる環境を作ってあげればよかったのかなとも感じます。反省すればきりがありませんが、でもこうした経験は今後の指針の参考に必ずなると思っています。
大会終了後、萩野とは何度も時間を取って話しました。
「10年前、北島に金メダルを取らせた時と同じような慎重さが、今回の自分は欠けていたと思う」
「大会期間中、その日の心情や状態など、萩野の話をもっと聞くべきだったし、私も気づいたことを言うべきだったね」
「萩野も『疲労が取れない』『調子がおかしい』など、自分の意見をちゃんと私に言わなきゃいけないよ。今後は、お互いに思っていることをきちんと言う時間を大事にしなければいけないね」
萩野は頷いていました。彼は自分で考えて行動できるタイプですが、帰国後はこれまで以上に、私にアドバイスを求め、意見を聞き入れようとする意志を感じます。信頼関係が増して互いの距離がグッと近づき、変な言い方ですが、ようやく「僕のチームの選手」になったような気がするのです。
コーチとは、選手の結果や調子が悪い時にこそ必要だと私は考えます。敗北感などを引きずらないように、選手にどのように声をかけ、問題の本質を探り出し、次のステップにつながる課題を見つけられるかが大事です。
「今回は、オーバーキャパシティと知りながら多種目に挑戦し、最高の目標には到達できなかった。だけど、『3年前はオーバーキャパシティだったけど、今は楽にこなせるようになった』と言えるようになろう。そう考えられるだけでも今回の挑戦には意味がある」。そう萩野と確認しました。
それは指導者の私自身にも言えることです。萩野だけでなく、私が指導するチーム平井の選手たちがそれぞれの"最高"に届くよう、指導の幅を貪欲に広げていきたいと思っています。